作成日:2022年8月20日
⽇⽐⾕花壇がお⼿伝いしたお客さまの実例
ラジオ番組のパーソナリティ、放送作家、随筆家、作詞家など多方面のご活躍をされた永 六輔さんが7月7日にご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2016年8月30日に青山葬儀所にてお別れの会は『六輔 永(なが)のお別れ会』が執り行われました。会のプロデュースは日比谷花壇がお手伝いさせていただきました。
当日はご関係者をはじめ、たくさんのファンの皆さまにもお越しいただき、永六輔さんを明るく、爽やかにお別れする会となりました。
多くの皆さまにご来臨をいただきましたことを御礼申し上げます。当日の様子をお写真とともに振り返りたく存じます。
規模 | 約1000名 |
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式場 | 青山葬儀所 |
宗教形式 | 無宗教形式 |
花祭壇 | 竹のオリジナル祭壇 |
祭壇のポイントとして遺影写真が3枚選ばれたことがあります。年代の異なる3枚の写真を遺影にしました。向かって左から、和服姿の20代、ラジオマイク前の50代、70代後半のお写真です。3枚のお写真を見ているだけでも永六輔さんの人生のストーリーが感じられるものになりました。
永六輔さんのお人柄としても偉ぶることがお嫌いで、常に皆さんと同じ目線でお話しされる方でしたので、祭壇の遺影も高過ぎず、低めに設定するということもポイントでした。通常より遺影写真を低くすることで語り掛けるようにお参りできる祭壇になったと思います。
永六輔さんらしく「粋」な「和」の雰囲気ですっきりとした祭壇にしたいとご希望を伺い、京都の山より取り寄せた立派な孟宗竹を大胆に使って、竹のグリーンが美しい祭壇を作りました。
「粋」なイメージに合うように青紫のアジサイ、ダリア、リンドウという季節のお花を取り入れました。
濃い色の花を引き立てる白いお花もアジサイ、ダリア、クルクマ、胡蝶蘭、カラーなどをふんだんに使用し、葉物にはハツユキソウという柔らいグリーンをふんだんに使用しました。瑞々しく、やわらかな印象のお花畑になりました。
永六輔さんはラジオの中でリスナーからのお手紙をとても大事にしていました。ファンの方から頂いたお手紙にはすべてお返事を書かれていたそうです。
永六輔さんはラジオの中でリスナーからのお手紙をとても大事にしていました。ファンの方から頂いたお手紙にはすべてお返事を書かれていたそうです。
多くのファンとの交流をしてきたお手紙をこのお別れ会でも永さんにお手紙をお届けできるように、記帳の代わりに「お便りコーナー」をご提案しました。
ポストの横にはラジオのスタジオで葉書を読み上げていた笑顔のお写真を飾りました。
「お便りコーナー」には昭和の葉書風に作ったオリジナル葉書カードを用意し、昭和の郵便ポストを特別に設置し、ファンの方はそこで投函いただけるようにしました。
800通に渡るお手紙が当日集まり、ご家族のもとに届きました。永さんもきっと喜んでいると思うとご家族の方はお話しされていました。
ファンの方はポストの前でたくさんの記念写真をお撮りになっていて心に残る演出になりました。
永六輔さんの自筆で「生きているということは誰かに借りを作ること 生きてゆくということはその借りを返してゆくこと」という歌詞と素敵なお写真がプリントされたカード、毎日新聞が作られた永さんの思い出を振り返る特別新聞が記念品としてお配りになられました。最後までファンの方が喜ぶ「粋」なおもてなしがされていました。
かなり大きなお別れ会でしたので、準備段階の最初は不安だらけでしたが、担当のかたが大変親身になって考えてくださり、いつまでに何を決め、何をすべきか完璧にリードしてくださったので、実に心強かったです。
こちらの想いや希望をしっかりと具体的な形に作っていくだけにとどまらず、実はお便りコーナーは、父のことをよくわかってくださっていた担当者さんからのアイデアだったのですが、おかげさまで大好評でした。
そしてもちろん、祭壇は「さすがお花屋さん!!」という素晴らしい出来栄えで、「竹の青さを生かした和の粋な雰囲気で」というイメージを見事に作ってくださいました。
多くの皆さまから、「永さんらしさに溢れた素敵な会だった」とお褒めの言葉をいただき、家族にとっても心から満足のいく思い出深い会になりました。